テンプルちゃんまでの長い道のり(2)遺伝子検査と寄生虫

II. 牧場の子犬(の続き)

前回のつづきです。

牧場主のボーダーコリーの遺伝子検査をお願いし、了承してもらったことを前回書きました。まずは、牧場主が自主的に行った遺伝子検査について、次に私たちがやりたいと思って行った遺伝子検査について、今回は書いていこうと思います。

II-2: 遺伝子検査と検査サービス会社

牧場主が自主的に遺伝子検査を依頼したのは東京の検査会社です。検査対象は、子犬の母犬でした。牧場主の説明通り、この会社が行ったのは最も深刻な遺伝子病と考えられる3つの疾患のみに対してでした。(1)NCL(CL病のこと)、(2)DM, (3)TNSです。

DMというのは神経系の疾患で徐々に歩けなくなり最後は呼吸器系が止まってしまうという致死性の疾患です。人間の筋萎縮症(ALS)とよく似た病気だということです。

TNSというのは免疫系の疾患で、感染症にかかりやすくなってしまう病気だそうです。この病気が発症すると治療法はもはやないそうです。発病のタイミングは生後数ヶ月の場合もあれば、数年後の場合もあるそうです。

牧場主に見せてもらった検査結果の証明書には、いずれも「クリア」でした。つまり、父犬がキャリアだったとしても、子犬はこの3つの病気を発症しないことが保障されたということになります。もちろん、キャリアである可能性は残りますから、子犬に対して直接遺伝子検査を行わない限りは、この子犬を使った繁殖はやめておいた方がよい、ということになります。

ボーダーコリー の遺伝病には、上記のような致死性ではないものの、気になる疾患がまだあります。私たちが気にしたのはコリーアイ(CEA)です。これも発病のタイミングは犬それぞれのようですが、発症すると失明してしまう遺伝性の病気です。目が見えなくとも元気に暮らしているボーダーコリー がいることは確かですが、活発なボーダーコリー という犬種を選ぶからには、失明の恐れがないことを確認してから購入を決めたいと思う人は多いのではないでしょうか?

そこで、CEAの検査を行ってくれる検査会社を探すことにしましたが、どの検査会社が信頼できるのか見当もつきません。そこで、牧場主が依頼した検査会社に相談してみることにしました。同業者からの推薦ならば信用度が高いと思ったからです。そうすると「大阪のVEQTAさんがいいんじゃないですか?」という即答が返ってきました。そこでさっそく電話をかけて問い合わせてみることにしました。

VEQTAの丁寧な応対には良い印象をもちました。検査内容は5種類で、上記の3つに加えて(4)CEAと(5)MDR-1の検査を行えることがわかりました。個別の検査も可能ですが、5種類セットで検査すると「お得」と言われました。牧場主からは母犬の検査のみが許可されていたのでダブりになってしまいますが、一応5種類全てを検査することにしました。

検査の依頼はwebシステムを通して行います。そうすると(コロナウイルスPCR検査キットと同じような)検査キットが1、2日後に郵送されてきます。プラスチックの容器と検体を取るための長い綿棒のような採取棒です。検体は「口の中の粘膜を採取棒でグリグリこそぎ取り」ます。PCRの場合は鼻粘膜ですが要領はほぼ同じです。ちなみに、検体採取自体は牧場のスタッフの方にやってもらいました。牧場のキットを持っていくと、目の前で採取してくれました。ありがたい限りです。

検体を郵送で送り返しますと、検体到着後1、2週間程度で検査結果がメールで送られてきます。ただし「急ぎ」を希望して料金を多めに支払うと、四日後程度に結果がわかります。証明書のハードコピーの発行を依頼することも可能ですが、こちらはメールによる検査結果の後に発行されます。

このプロセスを経て検査結果が送られてきたとき、私たちはどれほど喜んだでしょう。検査結果は、CEAがキャリアでしたが、残りはすべてクリアでした。繁殖することは全く考えていないので、キャリアでも問題ありません。この子犬自身の健康だけが私たちに大切なことなのです。こうして私たちはこの牧場からボーダーコリー の子犬を購入することに決めました。

ただ、この結果を牧場主に教えると、CEAがキャリアだったことにショックを受けていました。「えっ?」といったきり無言になったのです。この事態を想定していなかったようです。おそらく、これまでの経験からコリーアイを発症して失明したケースがなかったのでしょう。やはり、繁殖を商売とするブリーダーは、遺伝子検査をなるべく広い範囲でやっておくべきなのです。

II-3: 下痢の問題....

購入することを牧場主に伝え、前金5万円を支払って、あとは法令で決められた56日を待って子犬を迎えにいくだけとなりました。

56日未満の子犬の商取引が禁止されるという新しい条文が動物愛護法に加わることになったのが、コロナウイルス 蔓延直後の2019年6月のことです。そしてこの法律が実施されたのが昨年2021年6月でした。ですから、私たちの新しい子犬は、この新しい法律のために、購入を決めてしばらく経ってから引き渡されることになったのです。

その間、頻繁に牧場に見学にいき、自分たちの子犬と戯れる時間を持たせてもらうことになりました。子犬を飼うときは、その性格や特徴を知ってから購入するのがベストであると言われていますので、この見学は大変有用なものとなりました。

ところが、そんな見学の日に、お母さん犬が私たちの目の前で下痢をしたのです。「ゆるい便」といった感じで、形こそはあるものの、形状を維持したまま手で掴みとるのは難しいような水分の多い柔らかさでした。

私たちの先代の犬は、最後、病院の誤判断により、組み合わせが禁止されている複数の薬を服用した結果、ひどい腸炎を発症してしまいました。下血が止まらず、脱水と栄養不足の苦しみを経て日に日に衰弱していきました。癌と戦う基礎体力をこれで削がれてしまったのです。

ですから、3歳程度の若い母犬が、こんなにひどい下痢を目の前でするのをみて、嫌な予感がしたのです。私たちの先代の犬は、死ぬ直前まで、こんなにゆるい便をしたことはありませんでした。元気に見えるこの母犬は、もしかすると寄生虫などに感染しているのではないかと疑ったのです。牧場主に問い合わせると、「母犬は産後で免疫が落ちるとだいたい便がゆるくなるものだ」と答えました。そのときは、そうかもね、と納得して帰宅しました。

しかし、家に戻っていろいろ調べると、「産後に下痢」ということを説明しているものは見つかりません。その一方で、細菌やら原虫やら回虫などに感染すると下痢になる、と書いてある文書がたくさん検索にヒットします。そこで、電話で再び牧場主に問い合わせることにしました。すると、「獣医に健康診断を任せているので直接聞いてみたらどうか?」とアドバイスされました。

さっそく紹介された獣医さんに問い合わせてみると、「あの犬は以前、運動性細菌に感染したから治療したことがあるよ」と説明してくれました。これはまずい兆候です。母犬が感染していると、母子感染がだいたい起きてしまうからです。牧場主に子犬の便の状態を聞いてみると、「ちょっと前にゆるかったことがある」と白状しました。ただ、「数日前に(この獣医から)薬を処方してもらい徐々に硬い便になりつつある」とも言いました。どうやら、なんらかの感染があったことに気づいていながら、それを黙っていたようなのです。

獣医の説明によると、牧場には色々な動物が一緒に住んでいるので、長年営業しているとどうしても何らかの病気が入り込み、感染が常態的に蔓延してしまう傾向がある、とのことでした。つまり、この牧場の犬たちはほとんど全員が、生まれつき母子感染を通じて、なんらかの感染症に感染しており、「ゆるい便」(つまりは下痢)をしているのが常態的になっていたものと推測されます。それがあまりにも日常的になってしまい、牧場主はあまり気にしなくなってしまったのでしょう。

こうして「犬の便はゆるい時もあるのが普通」という感じになってしまったと思われます。もちろん、下痢の子犬を売り渡すのは一般的には好ましくないことですから、売り渡す直前に(習慣的に)獣医から薬を受け取って子犬に服用させ、56日目に硬い便が出るように「調整していた」のでしょう。薬をやめるとまた感染症がぶり返してくることもあります。しかし「あとは飼い主の責任」ということで、下痢の治療を新しい飼い主に押し付け、売り手は利益を確保するのです。もちろん、この牧場主は根はいい人であることはわかっていますが、感染症を根絶させるのは商売上割りに合わないわけですから、このようなやり方を選ばざるを得なかったのでしょう。こうした事情は理解できますが、自分の子犬が最初から胃腸に感染症あるいは寄生虫がいる状態からスタートするということになると、「ちょっと待ってくだいさいよ!」ということになりますね。

このやりとりを経たあと、牧場主は子犬の検便を獣医に行ってもらったそうです。その結果、ジアルジア 」という原虫に感染していることが判明しました。腸に寄生し、下痢を引き起こす微生物で、その根治はなかなか大変だということが知られています。

こうして、私たちの「子犬」は、56日経過を待たずに、牧場主の判断で「取引中止」ということになってしまいました。予約金は全額払い戻されましたが、可愛い子犬が我が家にやってこないという辛い結末を迎えることになったのです。

この子犬は、私たちとの取引が中止になった直後に、かなり遠方に住んでいると思われる、別の方に売られていきました。おそらく見学をしないで子犬だけを引き取りに来たのでしょう。下痢だとしても「ちょっとゆるいぐらいがちょうどいい」などと、プロのブリーダーから説明されたら、素人の私たちは納得してしまうことが多いと思います。

子犬は引き取り手が見つかって幸せになったかもしれませんから、これが悪いとはいいません。ただ、牧場主が以前私たちに「あなたの先代の犬は10年以上も生きたのだから長生きで、幸せですよ!私の牧場の犬たちは、だいたい8年くらいで死んでしまうのが多いです」と語っていたのを思い出しました。腸に寄生した原虫は子犬の頃は大暴れして栄養失調などを引き起こします(たしかに、牧場の母犬は普通の犬よりも小柄でした)。しかし犬が成長すると犬の免疫が強まり、しばらくは寄生虫の活動が下火となって「共存」のモードにはいります。しかし、老衰して免疫が落ちてくると、再び下痢や胃腸炎を引き起こすようになり、老衰を加速させて寿命を短くする傾向があるようです。

こうして、私たちの子犬探しは振り出しに戻ってしまいました。

II-4: さようならBuck

私たちはこの子犬に名前をつけていました。Buckと言います(オスでした)。Buckは我が家に来ることはありませんでした。今思うと、(もしかすると)テンプルちゃんより可愛かったかも、と思います。さようなら、Buck!